記憶から木録へ『国破れて‘山河’あり』(紙すき爺さん)

by w-history

辺境と偏狭

「海沿いの地域の人は、

『この海は中国大陸、またはアメリカまで続いている』

などと感じるのに対し、内陸県は、『あの山の向こうは○○集落』という感じ
で、どうしても視野が狭くなります」

その他、一般的に言われる「長野県人の県民性」を挙げてもらった。
「勤勉で誠実で辛抱強い性格。考え方も生活も堅実。お金には細かいが、
教育熱心で研究心も旺盛。わが国有数の長寿県(男性1位、女性4位)なのは、
暴飲暴食などせず、規則正しい生活を送っているから。理屈っぽく、議論好き、
頑固なところもあるため、やや社交性に欠けるのが玉にキズ。また、内陸県
だけに融通がきかない、視野が狭いといった一面も。とにかく真面目で正直
で曲がったことが嫌い。そのため冗談が通じないことも。この傾向は北部へ
行くほど顕著になり、逆に南部に行くとおおらかで情緒的な傾向に。

 女性はおしなべて正直で誠実な性格。大人しそうに見えても実はタフ。
ストレスも溜めない性格だから長生きする」

 こうしてみると、個人的には納得できるものばかり。

 ちなみに、周囲に「長野県人」のイメージを聞いてみると、
挙がったのは「オリンピック」「長寿県」「スキーやスケート」
「昔、合宿で行ったことがある」など、「県民性」とは無関係のものばかりだった。

年配層のイメージする長野県の「辺鄙で偏屈」感は、新幹線開通でアクセスが便利
になったこと、オリンピックがあったことなどから、開かれたイメージになり、薄らい
でいるのだろうか。それとも、尋ねた私に遠慮しただけ……? 
そして、こんな風にまたしても考え込んでしまうのは、やっぱり長野県人ゆえか。
「関西人」のような大きなくくりや、「大阪人」「名古屋人」のようなメジャー都市であれば、
俎上に載せられるケースが多いのもわかるが、「長野県人」なんてピンポイントすぎる気がする。

 一般的に「長野県人」ってどんなイメージなのか。ときどき言われる「頑固」「生真面目」
などのことだろうか。これらも、いつ、どんなきっかけで言われるようになったのか。

『新版 出世・結婚・お金は『県民性』で9割決まる』(監修/プレジデント社)等、県民性研究の第1人者の矢野新一さんに聞いた。

「長野県は江戸時代、寺子屋の数が日本一だったこと(面積が広いこともある)、明治の就学率が日本一だったことから、『教育県』と言われるようになったと思われます」

日本の各国の人柄や風俗などを記した、今でいう県民性本のはしりのような書物、『人国記』に、こんな記述があるという。
「信濃は武士の気質は天下一なり。もっとも、百姓・町人も律儀なること、伊賀・伊勢・志摩に五畿内を加えたよりも、なお上である。義理が強く臆することもなく、百人のうち九十人は律儀である。たまたま臆病な者がいても、それは他国で云うようなほどではない。もし、卑劣な事を言ったり、卑劣なことをすれば、人は皆、これを憎み付き合わなくなるため、弱々しい人も、後には義理を知るところである。知恵も他国に比べ優れている。辺鄙なところだけに、偏屈な人も多いが、善き気質の人が多い」

「義理が強く」「律義」だったら、良いイメージだが、気になるのは「偏屈」。
(エキサイト田幸和歌子)
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by w-history | 2014-03-26 09:51