記憶から木録へ『国破れて‘山河’あり』(紙すき爺さん)

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ナチの火祭

 神倉山は日本書紀に天ノ磐盾として記載されている歴史ある場所です。神倉神社のゴトビキ岩はそんな変遷の新宮を何千年も唯一じっと見続けている霊石でもあるのです。
 お燈まつりは毎年2月6日神倉神社の例大祭として執り行われます。白装束に荒縄を巻いた2,000人前後の上り子が松明を手に急な石段を駆け降りる火祭りです。江戸時代までは1月6日に行われ、火で心身を清め、その年の平安を祈る祭りとして続いてきました。約1,400年もの歴史があると言われています。この日だけは女人禁制。神倉山に登れない方は、麓の鳥居から石段を見上げてみて下さい。お燈まつりの勇壮さが想像できます。石段は538段あり、1,193年、源頼朝が寄進したと伝えられている。
 太鼓橋の右手には「下馬」標石があります。1,672年奥州(現東北地方)の大銀与兵衛盛道が、熊野三山に七度参詣した記念に寄進したと書かれています。車も新幹線もない時代に片道約1200kmもある道のりを7回も・・・熊野信仰の篤さがうかがえます。
 神倉山を上り詰めると神倉神社がありますが、その手前に参拝前に手や口を清めるための手水鉢があります。巨大な花崗岩を丸ごと刻んで仕上げたもので、新宮城主二代「水野重良」が1,631年、親類にあたる下野の国(栃木県)那須城主「大関高増」の母の延命と繁盛を祈願して寄進したものです。
 神倉神社は、高倉下命(たかくらじのみこと)と天照大神をお祀りしています。境内には、熊野権現が最初に降臨されたと伝わる霊石「ゴトビキ岩」があり、この岩間からは、弥生時代の銅鐸の破片やお経を書いて埋めた経塚が発見されていて、古代から大きな石を祀る自然信仰の場として、神聖視されてきた山であることがわかります。最近、スピリチュアルスポットとして注目を浴びています。(新宮市観光協会ホームページ)


本州最南端の南紀では火祭りが盛ん!
●那智黒飴を手土産に●
『那智の火祭』
開催場所:熊野那智大社
開催日時:7月14日
重さ50㎏以上もある大松明の炎が参道いっぱいに乱舞します。
 日本三大火祭りの1つ「那智の火祭り」は、熊野那智大社の例大祭「扇祭り」の一幕で、那智山の信仰は、神武天皇東征の折りに、那智の滝を大己貴命(大国主命)の御霊代として祀ったことに始まります。

 仁徳天皇の頃、那智山中腹にその社殿を移し祀ったのが今の熊野那智大社の起源で、全国三千有余社の熊野神社の御本社でもあります。この例大祭は、熊野那智大社から御滝前の飛滝神社への年に1度の里帰りの様子を表したものです。十二体の熊野の神々を、御滝の姿を表した高さ6mの十二体の扇神輿に移し、御本社より御滝へ渡御をなし、御滝の参道にて重さ50㎏~60㎏の十二本の大松明でお迎えし、その炎で清める神事が「那智の火祭り」です。那智大社境内にて大和舞・那智田楽が奉納されます。

 那智田楽は、足利時代の応永10年に京都から、田楽法師・宗正、法輪を招いて習得したものであると伝えられています。

 楽器は、笛、腰太鼓、編木の3種で、笛1人、腰太鼓4人、編木4人、番外の舞人シテテン)2人、 の計11人の編成により舞います。舞人の服装は、緞子でつくられた直垂(太鼓の者は赤、編木の者は黄)、袴は白二引の縹色のくくりばかまで、綾藺笠をかむります。

 田楽舞を創成期の形をそのままに伝えている、全国的にも数少ない例として国の重要無形民俗文化財に指定されています。平成24年ユネスコの無形文化遺産への登録が決定しました。(那智勝浦町ホームページ)
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by w-history | 2014-02-06 14:42