記憶から木録へ『国破れて‘山河’あり』(紙すき爺さん)

by w-history

「東洋のマチュピチュ」 別子銅山跡

 西日本一の高さを誇り「四国の屋根」と称される石鎚山系の東端、赤石山系。その一つ、標高1294メートルの銅山越(愛媛県新居浜市)の周辺は、登るにつれて時を遡ることができる空間だ。

 一帯にはかつて住友家が営んだ別子銅山があった。元禄4年(1691年)の開山から昭和48年(1973年)の閉山まで、282年間にわたって銅を採掘した。山中では往時を物語る遺構が静かに時を刻む。深い山の奥にたたずむ威容は、南米ペルーの山中にあるインカ帝国の遺跡になぞらえて「東洋のマチュピチュ」の別名を持つ。

 銅山跡を訪ねるには、まずJR新居浜駅からバスで山麓付近の端出場(はでば)に向かうのが一般的だ。海岸線から内陸へ数キロメートル。険しい山が目の前に迫る。ここは最後の採鉱本部が置かれた場所で、今は遺構を生かした観光施設「マイントピア別子」がある。

 坑道は山頂付近から掘り下げられ、最終的には延長約700キロメートル、深さは海面下約1000メートルにまで達した。マイントピアではその一部を見ることができる。山腹を長さ10キロメートル近く水平にくりぬいた物資運搬用のトンネル「通洞」が残っており、暗闇をのぞくと今でも削岩機の音や労働者の声が聞こえてきそうだ。夏には30度を超す外気との温度差は約15度。冷気が白い霧状になって吹き出ているのが見える。

 マイントピアには年間43万人程度が訪れる。多くはマイカーや観光バスの利用者で、観光坑道などを見るだけで帰る。しかし銅山の歴史を肌で感じるには、自分の足で一帯を巡るのがお薦めだ。

 登山道の入り口はダムの近くにある。夏草が生い茂り、まるで獣道だ。散歩中の住民に道順を尋ねると「最近ここから登る人は少ないよ」と心もとない返事。見渡すと渓谷に架かる朱色のアーチ橋が目に入った。明治後期に完成した古い鉄橋だ。渡った先の道は閉鎖され、こちらに進むことはできない。

 登山道をひたすら登る。さわやかな風が吹くが、険しい道に玉の汗がしたたる。渓谷に響く清流の音が応援団だ。ふと、目の前にカラスアゲハが舞い降り、ビロードのような羽を披露してくれた。

 明治初期に牛車道が完成するまでは、この山道を30~45キログラムの鉱石を背負った男女が列をなしていたという。彼らも昆虫や山鳥とのささやかな出会いに心を和ませたかもしれない。

 途中、鉱毒水を流したレンガの水路跡などを見ながら歩くこと約2時間。ようやく「天空都市」のある標高750メートルの東平(とうなる)に着く。

■いよいよ天空都市に

 東平には鉱山が端出場に移転する前、大正から昭和初期にかけて採鉱本部があった。最盛期には労働者とその家族ら3800人が暮らしたという。今も掘り出した鉱石をためておく貯蔵庫や、鉱石を山裾におろす索道(リフト)基地の跡が残る。山肌に沿って石造りの遺構がそびえ立つ様は、まさに天空都市だ。

 今では観光スポットとして知名度も上がり、年間に6万人が訪れる。取材した日も家族連れやハイヒールをはいた若い女性が記念写真を撮っていた。

 端出場からは幅の狭い車道が通じているので、東平だけを見て帰ることもできる。しかし、マイカー族が目にする遺産はあくまでも一部。実は銅山越の先の南斜面にこそ、歴史が詰まっている。

 銅山の歴史は17世紀の終わりごろ、南斜面に鉱脈が突き出ているとの情報が住友家にもたらされて始まった。採掘は手掘りからダイナマイト、削岩機へ。鉱石の運搬手段も人力から牛馬、蒸気機関車、そして電車へと進化した。様々な仕事が今の住友重機械工業や住友林業、住友化学などを生んだ。

 開山当時の名残を残す銅鉱の露頭までは、東平から1時間半余り。登山ルートは整備され、端出場からの道より快適だ。露頭の東側には最古の坑道の入り口が残る。その名も「歓喜坑」。大鉱脈を掘りあてた当時の喜びが伝わってくる。

 別子銅山では風雪のため行き倒れたり、豪雨で命を失ったりした人がいた。歓喜坑の周囲には繁栄の陰で犠牲になった人々を供養する塔が点在する。

 南斜面をさらに下ること一時間余りで、旧別子銅山登山口に着く。ここに車を止めて高山植物に富んだ赤石山系山頂付近を周回する登山客が多いが、江戸から昭和に至る銅山の歩みを追いかけるなら、端出場と旧別子銅山登山口を結ぶルートに限る。ただ登山口から新居浜市街地に戻る手段は1日2便のデマンド方式のバスだけ。日帰りは事実上不可能で、周辺に宿泊施設はほとんどない。

■観光開発はこれから

 交通や宿泊面に課題が多いのは、一帯が住友の所有であり、今も犠牲者の供養を行うなど、関係者にとって特別な場所であることと無縁ではない。

 山麓にある別子銅山記念館の田尾邦雄館長は「この山は住友の原点として大切な場所」と、安易な観光地化には慎重な姿勢を示す。一方で「銅山での事業が日本産業の近代化に大きく貢献しており、多くの人に意義を理解してほしい」とも話す。

 新居浜市もこれまでは端出場と東平以外については積極的なPRを行ってこなかった。登山ルートの検証や旅行商品の開発も緒に就いたばかり。「東洋のマチュピチュ」が多くの人の目に触れるのはこれからだ。(日本経済新聞松山支局長 入江学)

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by w-history | 2013-11-05 09:51