記憶から木録へ『国破れて‘山河’あり』(紙すき爺さん)

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新説、本能寺の変。

戦国武将の織田信長が天下一統を目前に自害をとげた「本能寺の変」は、天正10年6月2日、西暦でいうと1582年6月21日に起こったとされる。中国地方攻略を進めていた羽柴(豊臣)秀吉に加勢するためわずかな側近だけを連れて向かった信長は、前々日より京都の本能寺に滞在していた。そこへ、同じく中国攻めに加わるため大軍を率いて出発した信長家臣の明智光秀が、突如として主君を討つべく急襲したのだ。

光秀はなぜ、信長に反旗を翻したのか? これについては、日本史における大きな謎の一つとして長らく議論が続いている。さきごろ朝日新聞出版より創刊された「週刊 新発見!日本の歴史」の第1号では、本能寺の変について、最新の学説にもとづいてその真相に迫っている。それによると、光秀が本能寺急襲におよんだその理由としては、以下のようなものがあげられるという。誌面では、それぞれの説の有力度が星の数(最大3つ)で示されていた。

・怨恨説 星2つ
・野望説 星2つ
・悲観説 星1つ
・四国政策説 星3つ
・黒幕説……朝廷説(星1.5つ)、足利義昭説(星1つ)、羽柴秀吉説(星0.5つ)、徳川家康説(星0.5つ)

このうち「怨恨説」は、面罵された、領地替えを命じられたなどの理由で、光秀が信長に恨みを抱いたという、ドラマやマンガなどでもおなじみの説である。だがこれを断定するにはまだ証拠が不十分なのか、星2つにとどまる。星3つをつけたのは「四国政策説」だけだが、この説は一般的にはなじみが薄いかもしれない。私も不勉強にも初めて知った。

信長はもともと、土佐(高知県)の長宗我部氏と友好関係を結び、同氏による四国制圧を容認していた。この関係の媒介役を担っていたのが光秀(とその重臣の斎藤利三)だった。それが1581年から翌年にかけて、信長は友好から対決へと四国政策の方針を転換、それまで長宗我部氏の窓口となっていた光秀はすっかり立場を失ってしまう。このことが彼に信長を討つ決意をさせたというのだ。

もちろん、これによってすべてが説明できるわけではない。光秀はあくまで自らの決意で信長を討ったのか。それとも、四国政策の転換から家臣団のなかで不利な立場となった光秀を、かつての主君ともいうべき足利義昭(室町幕府15代将軍)が、自らを中心に形成した信長包囲網に取りこんで信長殺害をうながしたのか。結論を出すには、さらなる史料の検討が必要のようである。

個人の動機は、けっして一つに絞りきれるものではないだろうし、権力の中枢にいる人間ならなおさら、その時代の政治的な力学のなかで、さまざまな要素を判断材料にしながら決断を下すはずだ。

だからこそ、歴史学の世界では、人物のパーソナリティよりも、その背景にあるものを分析することに重点を置く。そのあたりについては、「週刊 新発見!日本の歴史」創刊号でも、東大史料編纂所准教授の金子拓が「「本能寺の変」の真実」という記事のなかで次のように書いている。

《近年の研究では、良質な史料を見きわめ、まずそれらを丁寧に解釈しようという姿勢が共有されている。これまで本能寺の変とむすびつけて論じられなかった史料を、年次比例作業により天正10年のものとみなし、関係史料として用いようという研究も進展した。そのうえで、信長や光秀の個性に注目するのではなく、より広い時間的・空間的視野で本能寺の変に至る政治的背景を分析しようという取り組みが試みられるようになった》

同様のことは、本能寺の変にかぎらずほかの歴史上のできごとにもいえるのではないか。金子はまた《歴史的想像力とは、信頼しうる史料をおさえてこそ発揮しうるものである。根拠がなかったり、信憑性の低い史料を土台にしたりした想像力は、妄想でしかない》とも書く。

「良質な史料を見きわめ、それらを丁寧に解釈する」という姿勢は、この新シリーズに貫かれたもののようだ。何しろ、「史料を読み解く」というコーナーまで設けられ、創刊号では太田牛一『信長記(しんちょうき)』(『信長公記』とも呼ばれる)がとりあげられている。

あるいは、「キーワード新解釈! 戦争」というコーナーでは、1575年の長篠の戦いをとりあげる。信長と徳川家康の連合軍が、武田勝頼率いる騎馬軍団を打ち破ったこの戦いは、信長軍が鉄砲3000挺を3列に配することで、1000挺ずつの一斉射撃を連続させるという“新戦術”で勝利を得たものと、一般的には知られてきた。

だが、この記事にはのっけから、《この戦いで鉄砲の威力が認識されたとか、飛躍的に普及したといった史料も見当たらないから、長篠の戦いを戦術革命と呼ぶのは疑問である》と記されている。そもそも信長の戦術を「三千挺三段撃ち」と初めて書いたのは、合戦から40年ほどのちの文献で、それが“史実”として定着してしまったというのが真相らしい。

このように、内容的にはかなり専門的なものとなっているが、イラストなど図版をふんだんに用い、ビジュアル中心に編集されているので、するすると頭のなかに入ってくる(欲を言うなら、人名や用語についてもう少し注釈なり解説がほしいところだが)。

同時代の世界史についても、見開きの世界地図のうえに、各国の動向、あるいはポルトガルから日本にもたらされた鉄砲や、宣教師ザビエルの伝道の足どりなどが示されていてわかりやすい。この時代の日本とヨーロッパとの交易は「南蛮貿易」として知られるが、最近の学校教科書では、東アジアでの交易という新たな視点が加わっているという。これについては巻末の、文科省の教科書調査官である高橋秀樹による連載「ここまで変わった日本史教科書」の第1回にくわしい。

朝日新聞社からは、出版部門が分社化される以前の1980年代に「週刊朝日百科 日本の歴史」というシリーズが刊行され(2000年代には新訂増補版も出た)、私も愛読したものだが、今回の「週刊 新発見!日本の歴史」もまた往年のシリーズと同様に、近年の研究から新たにわかった史実や新解釈が盛りこまれ、創刊号からがっつりと手ごたえを感じた。

全50冊を通じて、旧石器時代から現代までを描き出そうというこのシリーズ、来週火曜(6月25日)発売の第2号では「開国の真実 幕府は事前にペリー来航を知っていた」と題して、幕末・維新の謎に迫る予定だという。“通”を気取りたい歴史ファンは、これから毎週火曜日が待ちきれなくなりそうだ。

※朝日新聞出版のHP内に「週刊 新発見!日本の歴史」スペシャルサイト開設(エキサイト)

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by w-history | 2013-06-21 12:29