記憶から木録へ『国破れて‘山河’あり』(紙すき爺さん)

by w-history

狩野山雪

 江戸時代、京都を中心に活躍した絵師・狩野山雪(1590~1651年)の住居が京都市中京区新町通御池下ルの神明町周辺だったことが分かった。身内の金銭トラブルに巻き込まれた山雪が揚屋(あがりや)(未決囚の留置所)に入った際の裁判記録から判明し、不遇だった晩年の山雪の姿もうかがえる。
 山雪の住所は、当時の京都所司代、板倉重宗の裁判記録「公事留帳(くじとめちょう)」に残されていた。慶安2(1649)年9月25日、山雪が揚屋に入れられたとの記述がある。山雪の義弟・伊織に金を貸した人物の訴えに、山雪は当初「弟でない」と申し開きをした。だが、義弟と確認され、伊織の代わりに揚屋に入るように命じられた。山雪の住所は「新町通神明町」とあり、神明町の地名は今も残る。
 「公事留帳」は、京都国立博物館(東山区)で開催中の特別展「狩野山楽・山雪」の準備段階で見つかった。狩野派を研究していた美術史学者・故土居次義さんが京都工芸繊維大に寄贈した調査ノートに公事留帳の写真が貼ってあった。写真を基に兵庫県立歴史博物館の五十嵐公一さんたちが個人所蔵の原文にたどり着き、奥平俊六大阪大教授たちが記述を確認した。山雪は、京狩野を開いた狩野山楽の弟子で、京狩野を継いだ。伊織は山楽の不肖の息子で、その借金騒動に山雪が巻き込まれたとの説もあった。山雪は、懇意にしていた九条家の尽力で揚屋から出るが、入獄の1年半後に死去した。
 特別展を担当した京博学芸部連携協力室の山下善也室長は「神明町の近所には肥前鹿島鍋島藩屋敷もあり、肥前出身の山雪と縁があったのかもしれない。入獄がなかったら、山雪はもっと多くの仕事をしていただろう」と話している。公事留帳と土居さんのノートは、「狩野山楽・山雪」展(5月12日まで)で展示されている。

 狩野山雪(かのう・さんせつ) 肥前(現在の佐賀、長崎の一部)に生まれ、幼少期に大坂へ移住。16歳ごろ、狩野山楽に弟子入り。山楽の婿養子となり、1635年に跡を継いで京狩野派2代目に。(京都新聞)

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by w-history | 2013-04-23 15:31