記憶から木録へ『国破れて‘山河’あり』(紙すき爺さん)

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維新


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(1835~1867)
 土佐に生まれ江戸で剣術の修業の後、帰国して勤王党に加盟しました。脱藩して勝海舟の門人となり神戸海軍操練所に学びます。元治元年(1864)以降操練所が閉鎖されたため、脱藩者の龍馬と同志たちは薩摩藩に保護され、鹿児島を経由して長崎にやってきます。そして、慶応元年(1865)夏頃、薩摩藩や長崎商人・小曽根(こぞね)家の援助を受け、日本最初の商社といわれる「亀山社中」を結成しました。この団体は、龍馬らが最初に拠点を構えた地「亀山」と、仲間・結社を意味する「社中」をあわせてそう呼ばれました。亀山社中の最大の業績は、慶応2年(1866)に、長州藩のために薩摩藩名義で大量の小銃や蒸気船ユニオン号(桜島丸・乙丑丸)の購入・運搬に成功したことです。そのことが、慶応2年(1866)1月の薩長盟約締結へとつながり、新しい時代をひらくための足がかりとなったのです。

「海援隊」は、龍馬率いる亀山社中が発展したものです。
慶応3年(1867)、土佐藩重役・後藤象二郎や西郷隆盛らの協力により、龍馬の脱藩罪が解かれ、海援隊(隊長:坂本龍馬こと才谷梅太郎)が設立されます。海援隊の名前は、海から土佐藩を援護するという意味から来ていると言われています。

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海援隊の基本理念等は、隊則である「海援隊約規」によく表れています。

入隊資格は「およそかって本藩を脱する者、および他藩を脱する者、海外の志ある者、この隊に入る」。脱藩者、海外開拓の志を持った者であれば入隊が可能でした。

隊の目的は「運輸、射利、開拓、投機、本藩の応援をなすを主とす」。運輸、射利、開拓、投資、そして土佐藩の応援です。特に、射利(利益追求)というのは、海援隊が現代の会社のように利益を求め、経営を行うという当時としては画期的なものです。

また、隊長の権限、隊士の互助のほかに、修行科目(政法・火技・航海・汽機・語学等)や隊の自活運営もうたわれており、政治・商事活動を行いながら、様々な勉強をするという集団でもありました。

海援隊は、慶応4年(1868)閏4月に解散しました。活動の期間は約1年と短いものでしたが、維新後に活躍した陸奥宗光(陽之助、外務大臣)、中島信行(作太郎、衆議院議長)、石田英吉(長崎県令)などの多くの人材を生み出しています。また、長崎土佐商会主任として海援隊との交渉にあたった岩崎弥太郎も、維新後三菱をおこし日本経済の発展に寄与したことで知られています。(亀山社中記念館)
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by w-history | 2013-04-06 19:00