記憶から木録へ『国破れて‘山河’あり』(紙すき爺さん)

by w-history

但馬の銀山

現在の兵庫県朝来市にある生野銀山。1580年(天正八年)、織田信長が但馬一国を勢力下におさめた後で、生野銀山を豊臣秀吉に領地として与えました。生野ではこの当時の日本の銀山の中でも特に大きな生産額を達成しました。銀山は秀吉にとっては特別に重要な収入源でした。秀吉は、金銀山は「公儀」つまり公のものであるとして支配下に収めます。生野銀山のように直轄化した鉱山には、奉行や代官を派遣して管理にあたらせました。そして生産額の一部を上納させたのです。これが秀吉の収入になるわけです。

没後に書かれた伝記でこう書かれているものもあります。
「太閤秀吉公御出世より此かた、日本国々に金銀山野にわきいで、そのうへ、高麗、琉球、南蛮の綾羅錦繍、金欄、錦紗、ありとあらゆる唐土、天竺の名物、われもわれもと珍奇のその数をつくし、上覧にそなへたてまつり、まことに宝の山をつむに似たり。」

秀吉が生まれたから金銀が出てきたように書いていますが、もちろんそうではなく、これは戦国大名たちが開発してきたからです。
ただその金銀で海外の高価な品物を買っていたわけで、つまり金・銀の多くは輸出されたということです。当時日本は、全世界の銀の産出量の3分の1を占め、世界の経済に大きな影響を与えていたのです。(NHK)
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by w-history | 2013-04-05 12:00