記憶から木録へ『国破れて‘山河’あり』(紙すき爺さん)

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役者インタビュー

 龍馬のように「倒幕」と「経済」の方向へ日本を引っ張っていくんだという開明的な若者もいたんですけれど、頭の良い青年たちはみな医学に吸い寄せられているんですよね。彼らが漢方ではなく西洋医学に強く惹かれたのには理由があって、西洋医学というのは王様も貴族も普通の人も…身分に関係なく、診療所にみな等しく並ぶという考え方が浸透していたから。「病のもとに身分は関係ない」という事実が、彼らにとっては大変衝撃的でまぶしく見えたんでしょうね。

 緒方洪庵というのは、とても思い入れのある人物でね。私の尊敬している人が“日本史の中で3人の尊敬する人物”を挙げているのですが、それが勝海舟・坂本龍馬・緒方洪庵なんですよ。そんなこともあって、この洪庵も以前からとても興味のあった人なんだけれど、坂本龍馬は青春時代に命を懸けて演じた思い出があるし、勝海舟も来年大河ドラマで演じることが決まった矢先、ひょこっと「洪庵の役をやらないか」というお話をいただいてね。「ああ、これもなにかの縁だな」と運命を感じて引き受けました。自分としては、それなりに演じきったつもりです。(武田鉄矢)

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 1838年、28歳の時に長崎から大坂に戻り、瓦町に適塾(正式名は「適適斎塾」)を開業。医業のかたわら蘭学を教えることになる。以後大坂で医者としての地位を確立し、教育者としても福沢諭吉や大村益次郎、橋本左内ら多数の人材を輩出した。また痘瘡対策として牛痘を使った「除痘館」を設立し、天然痘の撲滅に尽力した。

 洪庵自身は1862年に幕府から江戸での奥医師を命ぜられ、やむなく江戸へ赴くが、そのわずか10ヶ月後に53歳で死去した。だが適塾はその後、大阪大学医学部の源流となり、洪庵は明治以降の日本の医学界の祖として、大きな足跡を残した。(NHK)
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by w-history | 2013-04-01 01:00